新潟リハビリテーション大学
 
学長ブログの継続に役立っている幼少期の宿題経験

学長ブログの継続に役立っている幼少期の宿題経験

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生まれ故郷の見附市(新潟県のほぼ中央に位置する市)に行ってきました。約1ヶ月半ぶりです。私は生まれたときから高校3年生までの間、ここで過ごしました。見附市立見附小学校・見附中学校、新潟県立長岡高等学校までが、実家から通っていた母校です。人生の中で見附に住んでいたのは18年間だけですから、圧倒的に今居る新潟市の方が長くなっています。そのためか、故郷であっても、目に入ってくる風景は行くたびに新鮮に映り、旅行に出たような気分になります。写真はJR見附駅のホームに飾ってあった大凧です。この地区の大凧合戦は、毎年6月の第1土曜日~月曜日の3日間、信濃川水系の刈谷田川堤防上で見附市今町地区と対岸の長岡市中之島地区との間で行われます。今日の帰郷は大凧合戦の見物が目的という訳ではありませんでした。

小学生時代の夏休み・冬休み・春休みの宿題に、毎年決まって、「毎日数行の日記を書く」というのがありました。毎日その日の出来事から印象に残ったことを探し出して短い文章にまとめるという作業は、小学生にとっては、かなり大変だったように記憶しています。しかし、私自身は随分と力を入れて取り組み、先生からもらうたくさんの花マルを楽しみにしていたと思います。そのような幼少期に行った訓練?が、大人になってからの文章記述に、ものすごく役立っている気がします。

たとえば、「学長ブログ、頻繁に更新されていますが、ネタはどうやって探しているのですか?いつもよく長文が書けますね。」とか言われることがあるのですが… 今の私はそれほど苦もなく、むしろ楽しんで続けることができています。「あっ、これ、話題にできそうだな」というネタのもとは手帳にメモって置き、その中からその日に書く項目を選んでいます。項目が決まれば、その後は、わりとスラスラと文章が出てくるので、あまり時間をかけずに仕上げることができます。時間がかかっていたのでは、とても続けられませんから、「幼少期の訓練を通して身につけることができた貴重な能力?」に感謝です。

今日は父の49日の法要でした。私が学長に就任したたばかりの4月の某日に、前日まで元気だった父が、あっけなく急逝してしまいました。私が朝に新潟市の自宅を出てようやく村上に着いたその時に連絡をもらい、急いで引き返し見附に向かった(村上と見附は新潟を中心として正反対の位置にあります。)のですが、間に合いませんでした。小学生時代、あぐらをかいて座っている父の大きな膝の上にのっかるように入りこんで、よく抱っこをしてもらっていました。その懐かしいぬくもりは、遠い記憶の中にしまってあります。