前学長野田忠先生の瑞宝中受章記念祝賀会

令和元年春の叙勲において、本学の前(第2代)学長の野田忠先生が瑞宝中綬章を受章されたことは、以前(本年5/21付)のブログに記載しました。https://nur.ac.jp/president_blog/diary/1337/

ご報告が遅くなりましたが、8月30日(金)夜、村上市瀬波温泉のホテル「大観荘せなみの湯」に於いて、野田先生の叙勲受章を記念した祝賀会を開催いたしました。この祝賀会は、本学園理事が中心となって発起人(発起人代表は理事の川崎久様)を務め、野田先生ご本人の意向により、村上の地で関係の深かった方たちを中心にお招きする会ということで開催しました。当日は、地元選出の議員の方や、村上市長を始めとする市議会議員の方々、地域の区長会や老人クラブ関連で親交のあった方々など、総勢55名にご出席いただき、盛大な会となりました。

祝賀会は、式典と祝宴の2部構成で行いましたが、私は祝宴の席において、野田先生のこれまでの(村上着任までの)知られざるエピソードをまとめ、披露させていただきました。そのスピーチの一部を、以下に紹介します。

 

野田先生、記念すべき令和になって最初の叙勲の受章、まことにおめでとうございます。

私は、おそらく今日参加されている皆さんの中では、もっとも早い時期から、先生を知っていると思いますので、そんな頃からの知られざるエピソードを交えてご紹介させていただこうと思います。

野田先生と私が最初に出会ったのは、今からおよそ40年前のことになります。私が新潟大学歯学部に入学した、その年に、新しく小児歯科学講座が開設され、野田先生は前職である国立小児病院より着任されました。

その後、私も学年が進み、専門科目の講義が入ってくるようになると、野田先生から小児歯科学を教えていただきました。当時、多くの科目で高価な専門書を購入させられ、貧乏な歯学生としてはお金がなく困っていたのですが、小児歯科は、手作りの製本した白い表紙の冊子を教科書代わりに渡されました。そして、その冊子に沿って講義を進めていただけたので、とてもわかりやすく、書き込みもでき、たいへん助かりました。

臨床実習が始まると、附属病院の各診療科をローテーションで回ることになったのですが、待合室がいつも一番混雑し、遅くまで診療をされていたのは小児歯科でした。当時は乳歯の虫歯が多発していた時代であり、また、小児を専門に扱う歯科医師も少なかったこともあり、野田先生の評判は全国各地に広がり、遠くは青森から治療に来るお子さんやご家族もいらっしゃいました。

野田先生は、時には鼻歌交じりで、非常にスマートに診療されていたのが印象的でした。付き添いのお母様やご家族の方の信頼も厚く、私もこのようにできたら、いいなあと、ひそかにあこがれていました。

さて、歯学部の卒業式・謝恩会の後の2次会では、卒後に入局する予定の教室の先生方に連れられて行くのが恒例になっていたのですが、私は卒後すぐに、新潟市内の歯科医院に就職することが決まっていましたので、参加できる2次会がなく困惑していました。そうしたところ、小児歯科のどなたかから、一緒に来ないかと誘っていただき、野田先生たちといっしょに、新潟古町の飲み屋さんに繰り出すことになりました。そこに向かって歩いている途中で、~中略~

私は卒後、一年臨床を経験した後、歯学部に戻り、基礎系の口腔生理学講座に入局しました。当時、口腔生理学講座は、小児歯科学講座と一番交流があり、小児歯科学講座の大学院生の多くが、口腔生理学講座で博士論文のための実験や研究をしていました。私がいただいた研究テーマも、小児歯科の先生方が研究されていた内容を引き継ぐものであり、その後も、小児歯科の先生といっしょに多くの動物実験をさせていただきました。そんなこんなで、私が博士号を修得する際の副査のひとりが野田先生でした。博士号を取得したのは30年近く前の話になりますが、その時、お祝いに、~中略~

それから、野田先生は新潟大学の学際的オムニバス科目である、「食べる」という科目のコーディネートを担当されていました。この「食べる」という科目は、100人の定員のところ、1,000人の受講希望者が集まるほどの盛況ぶりでした。さらに、その講義内容をまとめ、5冊の小冊子として「食べる」「続食べる」「食べる 成育編」「新潟発 食べる」「食べる 介護編」とを編集出版されました。私も光栄なことに、「食べる」のオムニバス教員のひとりとして、講義の一部を担当させていただき、小冊子も分担で執筆させていただきました。なお、「食べる」で、野田先生は、平成17年度の新潟大学教育褒賞を受賞されています。

その後、平成19年3月に野田先生は新潟大学を定年退職されることになりました。ちょうどその年の4月から、本学の前身である新潟リハビリテーション大学院大学が開学する運びとなり、当時、私が新潟大学からこちらに異動することが先に決まっていました。その後、設置準備室室長であられた現本学教授の伊林先生より、もうひとり新潟大学から来ていただけないか、という依頼が、当時、私の直属の上司であり歯学部長だった山田好秋先生にあり、ちょうど定年退職される野田先生が、いいのでは、ということになり、野田先生の研究室に、私がお願いに行き、快諾していただいたというのが、今日のこの日に繋がる発端だったのではないかと思います。

ここまでお話ししてきた通り、私は、学生時代から教員となって新潟大学に携わっていた期間、途中で出入りはありましたが、野田先生も、ほぼ同時期にちょうど同じ期間、新潟大学にいらっしゃいました。そして、いっしょに本学に異動してきて、野田先生は第2代学長に就任され、それを今私が引き継いでいるという、運命を感じています。

長くなりましたので、運命を感じる話の暴露はこれくらいにして、野田先生、今後もお元気で、ご活躍されることを祈念しています。このたびの受章、まことにおめでとうございます。

 

叙勲受章を心からお祝い申し上げるとともに、今後もご健勝にてご活躍いただくことを祈念申し上げます。